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「ビリパパ」が名付け親!

2020.03.30

人生最初のテリトリー!

1990年春、OA機器の販売会社に入社した私は、約2か月半の社内研修を受けていました。

ワクワク感と緊張感の入り混じったこの期間は、実に楽しかった記憶で一杯である(研修期間終了後に訪れる厳しさも知らずに、、、)。

あれから、数多くの研修やセミナーを受講し(100回はくだらない/学生の頃、ろくに勉強もしなかったので今頃になって色んなことに興味が沸いている)、またある時期から主催する側にもまわり、その運営の難しさを痛感してきた。

研修やセミナーは、”段取り八分”と言う言葉がある通り、準備が大切であることと、主催者の熱量によっても成否が変わること。また講師によってもかなり差が出ることは、間違いないであろう。同じ内容でも伝える人・伝え方によって全く違った内容になる。不思議だ、いや当然か!

そういう意味では、楽しかった研修という記憶が残っている私が受けた新人研修は、十分な準備がなされていたのだと思う。そして、研修が終わり、初めて与えられたテリトリーは、中川区の半分。ナゴヤ球場の廻りといえば、想像し易いかもしれない。ナゴヤドームはまだない。

こんな事を言うと叱られるかもしれないが、はじめて営業活動をする新人営業マンにとっては、中川区は良いテリトリーかもしれない。

(理由は以下の文面から推察してください!)

毎朝、中川区のもう片方をテリトリーとしていた先輩の助手席に乗り、現場へ向かう。私は、自分のテリトリーで降ろされる??そして、一日中歩きで営業活動。今思えば、自転車・車の手配が遅れていたのだろう。そんなことも気にかけず、朝から晩まで飛び込み営業。

この経験が今でも私の財産になっている。

アポイントも取らずに(逆に取れないから飛び込んでいたのだが)、会社・事務所・工場を見つければ、条件反射のように飛び込む。最初の数日間は抵抗もあったが、苦にならなくなるのに、余り時間はかからなかった。なぜだろう?

自信を持って言えるのは、たまにゆっくり話を聞いていただけることがあり、それが嬉しくもあり、楽しかったからだ。多くの場合、門前払いになるのだが、一日飛び込んでいると、2~3件はゆっくり話を聞いていただける。

嬉しかった!有難かった!

そして、月に数社のお客様にコピー機を買って頂ける。ほとんどのケースが5年リース契約で稀に現金購入だった。

本当にありがたい話です。私の1号機(初めての契約)を購入いただいたH社さまは、その後ずっと継続してお取引いただいています。かれこれ約30年、現在の複合機は何台目なのであろう。

そして、ゴルフ好きで、シングルハンディの社長と昨年初めてのラウンド。私が長期にわたり、東京に行っていたこともあり、やっと実現したラウンドは、一生忘れる事の出来ない時間となりました。

一日中、昔話も含め多くの会話をさせて頂きましたが、昼食時にこんな話もしました。

「ちょっと前に親が亡くなってな、少し気持ちの張りが無くなった。なんだかんだ言って、子供って親に認めてもらいたいから、頑張っているのかもしれんな。」いつもは元気で笑顔の素敵な社長が、少し寂しげな表情をしているのが印象的でした。

そして、私も20年ほど前に亡くした母の顔を思い出し、うなずいていた。

出会った当時、社長は30代、私は20代。そして、お互い60代、50代になった今も当時と同じように話せる社長。これからも宜しくお願い致します!初ラウンドは、私の敗戦で終わりましたが、次回は良い勝負が出来るように、もう少し腕をあげておきます。

 

浜岡遠征(静岡)!!

私の記憶が正しければ、10月から新しいテリトリー東区に変わった。

ここでも同じように毎日訪問活動を繰り返し、長きにわたりお付き合いをして頂けることになる、多くの経営者に出会う。その中の1人。当時、泉2丁目に事務所を構えていたT社長。社長の机の後ろに中日ドラゴンズ落合博満選手のサインバットに等身大?パネル。

小さいころから野球をしていた私は、ここぞとばかりにリトルリーグ時代から始まる球歴を披露。あっという間に話が盛り上がる。T社長が所属していた野球チームに誘われ、週末の浜岡遠征(静岡)に参加することに。

当時、会社の野球部の他に2チームを掛け持ち(合計3チーム)していた私は、ほぼ毎週どこかのチームで試合があった。何かの運命だったのか、出会うべきして出会ったのか、この週は偶然フリーだった。断る理由もなく、遠征に参加した。

T社長の話しぶりで、真剣に野球に取り組んでいるチームであることはすぐにわかった。他県へ遠征に行ってダブルヘッダーをこなして帰ってくる。なかなか出来る事ではない。

多くの野球チームに所属したが、後にも先にも大会以外で遠征するチームはこのチームだけだった。この時は、車数台に分かれ、便乗して行ったが、その後、監督が大型免許を取り、バスで遠征や大会に参加する様になる。

この大型免許を取られた方が、後に映画「ビリギャル」のモデルになった”さやかさん”の父、ビリパパである。

映画でもビリパパがバスを運転するシーンがあり、なんとも懐かしく思って見ていた人も多いのではないだろうか。ビリパパは、その後、少年野球チームでコーチをする様になり、そこでもバスを運転していた。きっかけは、上記理由だった。

現在もT社長、ビリパパ、徹さん、このチームで出会った多くの方々と長きにわたり、良いお付き合いをさせて頂いている。更に付け加えると、丙午生まれの同い年が私の他に3人在籍していて、仕事に対する姿勢においても彼らから良い意味で刺激をもらっている。

そのうちの2人は甲子園経験者だったため、知らず知らずに私の中で意識していたのかもしれない。いや、してたな、、、

また、その後このチームに同い年の元プロ野球選手K君(広島カープ)も入ってきた。彼はキャッチャーだったため、当時ピッチャーをやっていた私は、元プロ野球選手とバッテリーを組めて本当に嬉しかった。

たいした球も投げられない私の投球を彼は一生懸命取ってくれた。そして、当然のごとく相手チームの盗塁は減った。私の人生で最高に投げやすいキャッチャーであったことは言うまでもない。

今こうやって当時のことを思い返すと、あの「浜岡遠征」は、入団テストだったのかもしれない。

1試合目は「のぶ」が投げ、2試合目は私が投げた。その後、2002年に名古屋を離れる様になるまで、10年以上このチームにお世話になった。その間、元プロ野球選手が都合5名以上、社会人野球経験者、名門高校野球部キャプテン等々、数々の名プレーヤーが集まった。

こんなチームが他にあるのだろうか?このチームと出会えたことも、私の貴重な財産になった。そして、このチームは今、硬式野球部に形を変えて、全日本クラブ選手権に出場している。

(ビリパパです!!)

名付け親!

前述したように、このチームでビリパパと出会い(正確にいうと出会った頃はまだビリパパではありませんが、、)、ビリパパの人間性に惹かれ、あっという間に30年近いお付き合いとなりました。

当時新人営業マンだった私は、ビリパパ、T社長はじめ、多くの経営者の方たちと出会い、独立を意識し始めるようになる。野球を通じて親しくなっていったビリパパに相談する様になり、5年目の夏(1994年夏)には決断。1993年5月に結婚した翌年のことである。

婚姻届けには、証人2名にサインを頂く必要があるのだが、その2人の内1人がビリパパであり、もう1人が先にも出てきた徹さんだった。

1994年冬、ビリパパと二人で名古屋へ戻ってくる途中、名阪国道で車が動かなくなる。映画でご承知の通り、自動車関連の仕事をしているビリパパが積車を手配し、我々はその到着を待つことに。

そこで、独立後の社名の話を持ちかけ、候補にあがっている社名をいつくか伝える。その多くに横文字が入っていたこともあり、「社名はシンプルなのがいい。OAナインはどうだ!OA機器のOA、野球好きのナイン、午前9時~午後9時まで営業する、ましてやあだ名も”きゅう”」

小さいころのあだ名が”きゅう”だったこともあり、即決!社名が決まった瞬間であった。

余談だが、小さい頃あだ名が”きゅう”であったことと、野球ばかりしていたことで、私のフルネームを「松本 球」だと思っている人が沢山いた、、「違います、永久の久、久しいという字です」生涯何度この会話をしたことか(-_-;)

そして、数か月後の1995年3月1日、有限会社OAナイン誕生。それも、ビリパパの事務所に偶然余っていた机を借りて、、、当時言われた言葉を鮮明に覚えている。

「事務所はなるべく安いところにしろよ。見栄張って高い事務所を借りても、意味がない。毎日お客さんのところに行って営業するんだろ!ほとんど事務所にいないんだから。だからと言って、自宅兼事務所は勧めない。仕事とプライベートのメリハリがつかなくなる。あれ、そう言えば、俺の事務所に机一台あまっとるな、、、」

情に厚く、面倒見がよいビリパパに甘えてのスタートとなる。

「家賃は出世払いでいいからな!」と言われ、約2年間この事務所(この机)に間借りさせて頂きました。家賃が請求されたかどうかはご想像にお任せします。まだまだ出世していないので、、、(^^)/

あれから25年、あっという間に時が過ぎました。信じられないくらいのスピードでした。その間、本当に多くのことを教えて頂き、多くのご縁を繋いでいただき、私の仲間たちや家族もお世話になり、感謝の気持ちで一杯です!

言うまでもなく、この間に「ビリギャル」が誕生し、本のミリオンセラー~映画化などなど、信じられないことが沢山起きました。あまりにも多くのことを思い出して、なんだか前が良く見えなくなってきたので、このあたりで続きとします。

書くことに困った時は、「ビリパパと沢山の仲間達ネタ!」で何度でも登場して頂きます!(^^)! 

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私は、運よく事務所を間借りさせて頂き、複合機も利用させて頂きましたが、いつの時代も起業する方は、なかなか先が見通せないと思います。そのような方に、「無理なく・無駄なく・負担なく」をキャッチコピーに、いつでも借りれる、いつでも返せる弊社のサービス。「コピー機 レンタル」「OA機器 レンタル」サービスをご案内しています。何でも気兼ねなくお問い合わせ頂ければ嬉しいです!

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