公式ブログ

人生の教訓となった試合!

2020.06.30

敗戦から学ぶ

人生にはいくつになっても忘れることの出来ない出来事があると思います。それは幼少期に起こることから大人になって起こったこと。また、これから起こるであろうことまで数多くあることでしょう。嬉しいこと、喜ばしいこと、悲しいこと、辛いこと、前を向かせてくれること、悔いること、何が一番記憶に残るのでしょうか?

私の場合、楽しいことよりはそうでないことの方が胸に刻まれる傾向にある様に思います。その一つが1981年7月23日貝塚球場での日本選手権関西大会準決勝(夏)。未だに忘れられない不用意なサイン。

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」(野村克也氏)

我々のチームは、関西春季大会優勝を含め35連勝中と間違いなく勢いづいていた。この日の対戦相手との対戦成績も秋季大会1回戦5-2、春季大会準決勝6-0、ともに勝利。そして、当日を迎える。

先行の我チームは幸先よく初回に1点先制。そしてその裏である。想定外のノーアウト12塁とピンチを迎える。私の頭の中は「間違いなく送りバント。まず早く追いつきたい筈。1アウト23塁にして4番5番で同点あわよくば逆転」相手チームの作戦をそう決めつけていた。

相手監督の頭の中はきっとこうに違いない。「中学3年生最後の夏の大会、勝てば全国大会出場に1歩近づく。何としても勝ちたい。この学年で相手チームに2度負けている。しかも春季大会は完封負け。初回表に先制されてしまった。ひとまず追いつこう!ここはバントだ!」

決めつけてはいけない。考えが出尽くしたところからが本当の勝負なのだ!その後の人生に間違いなく活かされている経験をすることになる。

相手監督の頭の中はこうだった。「過去の2試合から、ある程度失点することは覚悟している。5点勝負!相手投手の立ち上がり、調子が出る前に絶好のチャンス到来。ビックイニングで一気にゲームの流れを呼び込みたい。ここは打っていこう!」

最近でこそバントをしない野球が全盛になっているが、当時は(特に学生野球)バントを多用した時代だった。

バントと決めつけていた私はストレートのサインを出し、ミットも真ん中付近に構えた。バントのサインが出なかった相手3番打者は、監督の意図を理解し、甘い球は初球から打つ心構え(準備)が出来ていた。おそらく過去にもこのような局面があったのか、試合前の指示で5点取りに行く!と伝えられていたのか、、、。

この後、私が生涯忘れることの出来ない瞬間が訪れる。

我チームの投手が投げた真ん中付近にきたストレートを「待ってました!」とばかりに相手打者が強振。カキーン!バットの真芯を捕らえた打球は、甲高い金属音と共にレフトフェンスを越えていった。

「えっ?マジ?えっ?えっ?」私の頭の中は、パニック状態になっていた。

このゲーム相手チームの得点はこの3点のみ。しかし、結果は2-3で我チームの敗戦。まさに痛恨の一球。連勝記録も35でストップ。春夏連覇の夢も消える。間違いなく私のせいで負けたと今でも思っている。不思議な負けなし。慢心、過信、注意不足、勉強不足だ!

相手投手に打たしてはいけない。タイムリーヒットでも打とうもんなら、気持ちが乗りにのって、ピッチングも良くなる。野球ではよく聞く話だが、このスリーランを打ったのが相手投手だった。

負けるべくして負けた、、、

 

この経験から何を学んだのか?

1、考えられるあらゆるケース(試合展開)を想定し、準備しておくことの大切さ。

今月は、緊急事態宣言も解除され、問い合わせ・見積り依頼が増加しました。問い合わせから見積り提出、その後のフォロー。競合先が存在する場合は、その対策。考えられる多くのケースを想像し、自社の対応に関する正解を見つけ出す。その準備が最も大切で結果は二の次だ。万全の備えをして競合負け(敗戦)しても、負けた時に充実感が残るだろう。甲子園で敗戦した球児がすがすがしく見えるのは、それが理由だろう。準備不足で負けるのは悔いが残るし、環境や競合のせいにして負けを真摯に受け止めない姿勢は論外だろう。

2、何事も決めつけてはいけない。~過去の成功体験が邪魔になるケースもある~

競合先の動きや市場の流れを決めつけてはいけない(過去の自分の経験がすべてだと思いこみバントと決めつけた)。自分の経験値から解を見つけ出そうとすること自体は悪くない。だが、それ以外のケースや考え方を学んでおく必要があるということ。

事業拡大や予算達成に向けてあらゆるケースを想像する必要があるのだが、これは経験値が多ければ多いほど有利で、また自分とは違う考え方や経験を持ったスタッフが近くにいると更に良い結果に結びつくことが多いでしょう。

だが、考え方や経験値が異なる人が多く集まった集団でも、チームになっていなければ、あまりその力が発揮できないケースがある。一つの目標(全国大会出場や業績アップ等)に向かってワンチームになっていれば、その力は1+1が3にでも5にでも∞にでもなる可能性がありますが、ただの集団では逆に価値観の違いが足の引っ張り合いになるケースがあります。集団かチームか?このように目に見えないものが、その結果を左右するキーファクターになり得ることをリーダーは消して忘れてはいけない。

その中で目標設定の過程や目標自体の納得感が高いか否かが、とても重要ではないだろうか。そういう意味では我々のチームは「全国大会優勝」という分かり易い目標があり、且つ、そのことを意識した仲間が集まったチームであった。そのマネジメントにかける労力は不要だった。

3、油断大敵

過去の対戦成績、春季大会優勝、35連勝中、この現実に油断してしまった。「1戦1戦挑戦者のつもりで!」等の言葉を口にはしていたが、どこかに気の緩みがあった。負けるとは思っていなかった。逆転されても何とかなるという気持ちもあった。相手がそれ以上の準備と気迫をもって挑んできた時、受け身に回った者は弱い。調子が良い時ほど、業績が良い時ほど、基本を疎かにしない。CSを大切にする。一つのミスから大きな失点に繋がることは、スポーツでも仕事でも同じことが言えるだろう。まさに油断大敵だ!

 

有終の美~敗戦からの成長~

このチーム(尼崎北リトルシニア)は、この敗戦から多くのことを学びリスタートした。準決勝では”痛恨の1球”で敗戦したが、3位決定戦に勝利し、関西大会3位決定。上位チームによる神宮大会出場権をかけた試合で連勝し、出場権をゲット。そして、神宮大会で優勝することになる。前年度、先輩チームが初戦敗退したリベンジを果たす。不用意な1球での敗戦後、再び前を向いたチームが6連勝し、有終の美を飾ることになった。その一番の原動力は、多くのメンバーが前年度のチームでもベンチ入りしており、全国優勝がチームとして明確な目標になっていたからに違いない。目標が明確に定められているとき、人は目標達成のために、一心不乱に走れるものである。

余談:このチームは、3年生レギュラー8名(2年生1名)のうち、3名が夏の甲子園、2名が春の甲子園に出場する(別々の高校)。出場できなかった私は、「甲子園組に負けない様に生きていこう!」この事が人生において一つの大きな原動力になっていると言えるだろう。経験から何を感じ、何を学ぶのか?そういう意味では、今年夏の甲子園大会が中止になったことを本当に残念に思う。彼らの気持ちは私には想像できない。計り知れない。今、何を思い、どう過ごしているのだろう?それに代わる試合は行われるようだが、、、一人一人聞いてみたい気さえする。

彼らの今後の人生は長い。今までは大きな目標があったこともあり、あっという間に時間が過ぎたであろう。これからの人生、まずは次の甲子園を見つけることから始まる。私の場合、少なくとも大学4年間では見つからなかった。その後、見つかった私は幸運だったのかもしれない。不完全燃焼で終わることになった高校生活から、それに代わる目標を見つけるのは簡単なことではないであろう。慌てることなく、多くのチャレンジ&エラーを繰り返し、第二の甲子園を見つけて下さい。そして、人生における「深紅の大優勝旗」を掴むまで、考えながら動き続けてほしいと思います。そうすれば必ず何かが見つかります。皆さんには、その下地(基礎)はついています。

Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.

(明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ)ガンジー

最後に、私の周りには高校野球経験者で起業した人達が沢山います。いつか、そのような時が来た時は、ご連絡お待ちしています。我々が全面的に起業のお手伝いをさせて頂きます。起業する方や高齢経営者に寄り添うコピー機レンタルサービス「借り得!」展開中です。

  • facebook
  • twitter

ページ最上部へ